2018年3月9日金曜日

12 目 撃 者

  
安政五年(一八五八年)佐野島大火三十四戸焼失。その年、島民は生活に必死であった。働ける者はみな働いた。漁に畑仕事にと。

源造も夜のあけぬうちから、裏山の段々畑で芋のとこ作リに汗をかき、太平洋の黒い海原から昇る朝日を拝んで一息いれた。

「やせた土地には、さつま芋が一番。」
源造は一人言をいいながら鍬を持った。豊予海峡の荒波が突き出た岸壁にぶちあたり朝の陽光にきらめきながら飛び散る。入江の中では、一艘の御用船が波にもまれていた。

 佐野島は豊予海峡に点在する離れ島で最も水の便利のよい島であった。平地の至る所に井戸が堀られ、その井戸にはあふれるばかりの清水が青葉若葉の影を写して静かにふるえている。

 豊予海峡を通る船は、給水のため一度はここに立ち寄る。ここ一、二年各藩の御用船の往来がはげしく、何か世の中が大きく揺れ動いているのではないかと、島民たちもうすうす感じ始めていた。

 源造は、休憩するために段々畑を降りて、木陰にある井戸水を飲みにいった。段々畑を降り切って竹の茂みに入ると松の大木があリその下に清水があふれている井戸がある。

 源造は、茂みを出ようとして、さっと立ち止まった。人の足音と話し声が井戸の方に近づいて来るのを感じ取った。
 また、御用船の水汲みであろう。そう思うと源造は腰をかがめて、水汲みが終わるのを待つことにした。

茂みの中から、じっと井戸の方を見つめていると二人の若い武士が、樽をかついで汗を拭き拭き表われた。

「時代は変わる。あと数年じゃ、新しい時代が来る。きっと来る」
「その時は、もう武士の世ではなくなるぞ」

源造は聞き耳を立てた。離れ島では、彼等の話が世の中の動きを知る唯一のニュースであり、学問であった。

「いいか、この秘密は、世の中が変わるまで待たねばならぬ。それまではあせらぬように」
「よし、わかったその時を待とう」

二人の若い武士は、樽を降ろすと、あたりに気を配ばリすばやく樽の中から、ふろしき包みを取り出し、素早く井戸の中に投げ込んだ。
「ドボン」と、にぶい重そうな音が、源造の耳にはっきりと聞こえた。二人の若い武士は、水を樽いっぱいにくむと、足早にその場を去った。

 源造は、はやる気を抑えて、竹の茂みの中で腰を下ろし、耳をすまし、じっと待った。体全体を耳にすると、三百メートル程離れた入江の船の動きがわかる。三時間も待ったであろうか、御用船の動く音を探知し、源造はおそるおそる井戸に近づいた。

 覗くと、五、六メートル程の水底に確かに何かがある。源造は上着をぬぐと、褌一つになって井戸の中に入った。

 初夏とはいえ清水は冷めたい。頭のしんが、痺れた。源造は一気にもぐると、ふろしき包みを拾いあげた。ふるえる手で包みを開けた。最後の油紙をひらくと、金塊がにぶく光っていた。

 上着を取ろうと立ちあがった時、源造はぎくりとした。松の木の横に、聾唖の少年、留吉が立ってこちらを見ているではないか。

源造は、留吉に近づくと無言でぐっとにらみつけ、ふろしき包みを上着の中にまるめこむようにして帰って行った。

それから十年、時代は変わって明治になった。源造は島を出た。

明治十年の春、佐野島の入江に一隻の大型漁船が入港した。最新の魚取の方法を備えた船で、その持ち主が何と島の源造で、島民は源造の出世に驚き、島中のニュースとなって広がった。

新築なった豪華な邸宅には、源造改め、佐野源太郎が網元として、島のいっさいの漁業についての采配を振るっていた。
源太郎五十八才の元旦、年始の客にまじって、一人のみすぼらしいみなりをした青年がやって来た。青年は、源太郎の面前で立ち止まると、無言でぐっと源太郎をにらみつけ、そのまま立ち去って行った。

 佐野原太郎は、悲壮な顔をしてみすぼらしい留吉青年の後を追った。これより青年はにらみつけることによって、食っていく術を知った。

2018年2月19日月曜日

11 もうかえるの

 
「おかあさん、もう帰るの」

恵美は残念そうにつぶやくのがくせになってしまった。

「そうそうお前のおつき合いもできないよ。早いもんだね。お前が結婚してもう二ヶ月が経ったよ、頑張らなきゃあ」

満更でもない微笑を浮べて、母は恵美を元気づける。外国航路の舟乗りに嫁にやった責任感のような気持ちから母はたびたび娘の家を訪問した。

「オカアサン、モウカエルノ」
「ああ、帰るよ」と、いいかけて、母は笑った。
毎度のことながら、母が玄関まで出てくると、玄関の下駄箱の上に置かれている九官鳥の長助か声をかける。母は恵美とまちがえて必ず返事をする。返事をしたあとで、なんだという顔つきで笑うのである。

 恵美も笑いながら玄関まで送りに出て、「なんでもよくまねするのよ」と、えさを与えた。

 新婚二か月で、夫の真治は船に乗り込み外国まわりが始まった。しかし、この海上生活もあと三か月のしんぽうだ。それから後は陸上勤務をすることが決まっていた。月給は半分に減るが、そんなことは、恵美にとっても真治にとつても問題ではなかった。

真治が船に乗り込む前に、恵美の生活を思やり、買って来たのが、この九官鳥の長肋である。
近頃では、恵美との生活に慣れてしまい夜明け方から夕方まで、しゃべりつゞける。

それは、ことばを憶え始めた二、三才児が、手のつけられない程しゃべるのに似ていた。
ある時は甘え声で、そして、ある時は、たかぶった声色で、長肋は憶えたことぱを関係なく羅列する。その声色は恵美の感情を実によくとらえていた。

 「ゴメンクダサイ、オハヨウ、モウカエルノ、オカアサン、ハハハ、オハヨウ、オカアサン」

 小さな声で、大きな声で、甘えるように、ささやくように、うったえるように、さえずりつゞける。

 母を送り出して、長肋にえさをやり、玄関に腰を降ろすと、恵美は溜息をつく、若さと健康と暇と金があり仕事のないことが、不満の種として心に積る。「さあ、頑張らなきゃあ」と、庭に出て力いっぱい背伸びをする。

 そんなある日、クラスメートの美子が、恵美の家を訪れた。

 「美子、ちっとも変わってないな」
 「おめでとう、恵美、おばさんに聞いたよ。見合いだって、まさかと思ったわ。後悔してるのとちがう」
 「とんでもない。しあわせよ。でも、いささか退屈ね」
 「ほん音はいたな、そりゃそうよ。金はあるし、瑕もある。健康でありあまるエネルギー、愛する夫は海の上、あぶないなあ」
 「何がさあ。美子とちがいますからね」

 久しぶりに会った同級の女同志、たまりにたまった日頃のうっぷんをん一気に晴らすかの如く、話題は尽きず、前後の関連なく思いつくままに乱れ飛ぶ。

 「美子、新聞記者って、なかなかなんでしょう。いつまで続ける気」
 「実はね、私も近々、結婚することにしたのよ、それで新聞社やめようと思うのよ」
 「またかつぐ、悪いくせなおらないのね」
 「本当、本当、うそじゃない。今度の仕事が最後になるかも、ほら、御当地出身の、英文学者の朝岡先生のインタビユーなのよ」
 「結婚の相手はやはり新聞記者なの」
 「そう、共同通信社の外電担当でね、新聞記者といっても、机にかじりついて翻訳して、整理するのが仕事。私も、その方をお手伝いしながら、将来は本格的に翻訳の仕事やってみようと決心したの」
 「うらやましいなあ、やってみたい」
 「あしたの、朝岡先生のインタビューいっしょにいかない。何かの参考になるかも」
 「いいか知ら、ついてって」
 「まかしときなさい。かなりずうずうしくなったんだから、あっ、それに、言おう言おうと思って忘れてたけど、恵美にお熱上げてた同級の野口文夫君、彼、放送記者でがんばってるわよ」

 恵美は瞬間、血のふるえるのを感じたが、美子には気取られずにすんだようである。

 次の日、恵美は美子といっしょに、朝岡先生を訪問した。美子は三日間、この地に滞在し、仕事を済ませると本社へ帰った。
 帰りしなに、野口文夫の名刺を恵美に手渡し、実験者がある種の好奇心で目を輝かせるように笑った。

 少し退屈ではあるが、平穏でつつましやかな恵美の心の中をかき乱して美子が帰ったあと、恵美は、暇と金と若さで憂うつになるのであった。

 日は無為に過ぎて行く、時折、思い出しては、文夫の名刺を取り出し、受話器を取るのであるが、途中でやめてしまう。
 しかし、ある日、遂に決行した。呼び出しのベルがルールールールー と、いやに耳に残った。

 夜の明けるのが早くなり、あちこちで梅の便りが聞かれ始めた。次の日曜日にでも、父母をさそって梅見にでも行こう、恵美はこよみをくった。

 玄関に出て、力いっぱい青空に向って、背伸びをした。これが、恵美にとっての唯一の若さの表現である。
 郵便受けに手を入れると、真治からの絵ハガキが届いていた。新しい港に入るたび、その土地の絵ハガキか写真を同封して定期便のように配送されている。

 「サデイナ港に碇泊、仕事が終わり、今日は給水のため特別休暇、同僚とサデイナの町に上陸、船上生活最後の記念品と恵美への土産を買う。サデイナの並木路を恵美と一緒に歩きたい、あと二か月 真治」
 読み終わって恵美は幸福感に浸った。

 「モウカエルノ、フミオサン」

恵美は夫真治からの絵ハガキを取り落した。

九官鳥の長助に恵美は心の一端を覗かれたように思えた。

2018年2月1日木曜日

10 素晴らしき脱税

 ここは大分県の南の端、いわしと芋の産地K町である。K町におろやんとしめやんという実に仲のよい二人のおばあさんがいた。どうしてこの二人、仲がよいかというと、ちょっとしたわけがあった。
 
おろやんもしめやんも、朝から晩まで、孫の守りをして、町中を歩きまわって一日を過ごしていた。おまけに、二人とも実によく屁をひるくさい仲であった。

 屁をひるといっても、おろやんとしめやんの屁は、気持ちのよい、豪快な屁であった。妙な臭いを発散させない、無色無臭のいい音の屁で、どんな偏屈な人間でも声を出して笑わずにはいられない。

 屁をひるタイミングが実によい。

 今日も朝から孫をおんぶしたかおろやんとしめやんは、海岸ぞいを散歩しながら町役場の方へと歩いていた。

 冬の寒い北風が吹きはじめると、役場のコンクリートの塀に囲まれた中庭は、子守り連中にとっては恰好な場所である。朝一番、早くそこに出勤するのがおろやんとしめやんであり、役場勤めの誰よりも早く、帰りは帰りで一番最後までそこに居た。
 役場に出勤する一人一人にていねいに朝のあいさつをするのである。にこにこと実にほがらかに
「町長さんおはようございます。(プー)
まあ、どうも失礼しました。(プー)」
 来る人、来る人にこの調子であり、毎朝のことなので、みんなも慣れてしまい、かえって、プーとでない時の方が変な気持ちになり今日は体の具合いでも悪いのではなかろうかと心配するぐらいであった。
 
おろやんとしめやんは、プーとやるたびに爽快な心持ちになるので、まあ、いいとしても、二人の家族の者はみな難儀をしていた。

 特に、むすこは、何とかして屁をひるのをやめてもらいたいと思っていた。そして、おばあさんの屁は、きっと、精神がたるんでいるからにちがいないと考えて、或る日、
 「おばあちゃんよ、今度から屁にも税金がかかるちゅうことじゃ、すこし気をつけてもらわにゃなあ」と注意した。
 
おばあちゃんも税金と聞いて、少し体が緊張して、精神が引きしまった。すると、景気よく、プー。
 ひょっとすると、おばあちゃんは、精神がたるんで屁をひるのではなく、過度に緊張した時にこそ屁をひるのかも。

 「わしだけじゃない。しめやんだって、わしよりも大きな屁をひる。しめやんにだって上納がかかるわい」
 そう思ったおろやんは、まあ、しめやんと相談して対策を考えることにした。
 
翌朝、いつものように孫をおぶって役場に行く途中で、しめやんに出合った。
 「しめやんよ、しめやんよ」おろやんは日頃よりも少し小さい声で、それでも普通の人と同じくらいな声で
 「よんべ聞いたことじゃけんど、大変な法律ができたもんよ、あのな、大きな声でゆえんけど屁にも税金がかかるちゅう話しじゃ」
 「そりゃあ、たまらんことよのう」
 「それで、しめやんよ、今日からは自由に屁もひられんぞ」
「おろやんよ、屁をひっても、役場んしにわからにゃ`いいし、誰にもゆわにゃ、わからせんもん」
「ほんに、そうよのう」

 納得したおろやんとしめやんは、役場の方にしりをむけて、一発大きな屁をプーとやると、役場とは反対の方向に歩き始めた。

 この日より、町の人々は、誰もおろやんとしめやんのあの豪快な屁の音を聞いた人がいないということである。
むすこは果たしてこれで良かったのかと自問自答している。

2018年1月31日水曜日

9 神様、仏様、安男様


安男は無神論者であった。

 今年3月に満60歳の定年退職をして、悠々自適の年金生活に入った。三歳年下の妻、哲子もいたって健康で、長男夫婦に二人の孫、娘夫婦に一人の孫、計三人の孫に恵まれて順風満帆の生活を送っていた。

安男は根っからの無神論者で神も仏もその存在を信じていなかった。神社に行ってもお寺に行っても手を合わせることも願い事を唱えることもなく、ただぼうっとその場に立って眺めているだけであった。

 ただ、その場に居るだけで心も体も自然に落ち着くことは確かであった。
そんなある日突然安男は便秘の症状で苦しみ始めた。

 「ばかな、今までにウンコが出ないことなんてあったか」
生まれてこの方、便秘などまったく経験がなく考えたこともなかった。
 無神論者の安男は、便座に座るたびにウンコが出ないことがどれほど苦しいことかを思い知るのであった。

 この苦しさに耐えかねて、ある日安男は便座に座って自然に手を合わせた。
 「神様、仏様お願いします。どうかウンコを素直に体の外に出してください」
 便座に座って今の今まで不安でかちかちに硬直していた体から、スーッと力が抜けていき嘘のように安心の境地に達した。
 「どうしたことだ。これはどうしたことだ」

 安男は、また手を合わせて、今度は前よりももっと心を込めて、前よりも少しはっきりとした声で
「神様、仏様、お願いします。ウンコを体の外に出してください」
 すると力の抜けた体のお腹の腸の辺りがぐるぐると動くのを感じた。

 安男は涙を流しながら
 「神様、仏様ありがとうございます。ありがとうございます」
 なんということだ。久しく感じたことのない腸の動きが活発になり、心地よい太さと硬さのウンコが静に体外に排出されていくのを実感した。
 なんと清清しい気分だ。それからは便座に座るたびに合掌して「神様、仏様、どうかウンコを素直に体の外に出してください。お願いします」と唱えるようになった。

 それ以来、安男はウンコの神様仏様を信じるようになったが、だからといって、信心深い信者になったとは思っていなかった。あいかわらず自分は無神論者だと思っていた。

 ただただ、ウンコの神様仏様に手を合わせると便秘が解消することだけは実感として確信できた。
 便座に座って手を合わせ、呪文を唱えている姿は外から見れば異様に映るだろう。しかし、本人にとってはいたってまじめで真剣そのものである。もっとも、便座に座って呪文を唱えている光景など外から客観的に見ることはまずなかろうが。

 安男はまわりに便秘の人がいると自分の体験を話したくて、話したくてついつい自分の経験した一部始終を話してしまうのであった。

 しかし、この話を聞いた便秘の人は笑って誰も安男の話を信じようとしないばかりか、ばかばかしい話として一笑に付した。
 それでもあまりにも便秘がひどく、クスリの効果もなくなるとついばかばかしいと一笑に付したあのことを試してみると不思議なことに多くの人が便秘を解消して清清しい一日をおくることができるようになるのであった。

 そのうちに誰言うともなく、「神様、仏様、安男様」と、安男の名前が付け加えられて唱えられるようになった。うわさはうわさを呼んで、安男の名前は有名になっていった。

 ただ一人、妻の哲子だけはこのことを信じていなかった。
 「ばかな」とつぶやくのである。

 しかし、その妻の哲子にも今までに経験したことのない強烈な便秘に襲われたのである。論理的で冷静な哲子は、先ず、掛かりつけの病院に行って主治医の鈴木医師の診断を受け、食生活と運動を見直すことにした。鈴木先生の食生活も運動も現在の生活で十分であることが分かり、取りあえず便秘の薬を処方してもらった。

 食生活では、今までよりも少しだけヨーグルトの量を増やし、努めて植物繊維を取るように心がけた。病院に行った日の午後と夕食後のクスリが効いて次の日は以前と同じように便秘は解消し、快調な生活に戻った。

 哲子は、生活習慣とクスリが便秘を解消することを確信した。

 安男の所には、年金生活者の60代の男女が多く相談に来ていた。その度に妻の哲子はお茶を入れ相談者の話し相手をするのであった。
 「私もつい最近便秘になりかかってね。鈴木医院でクスリを貰ってすぐに解決しました」
 「そうですか。私も初めのうちはクスリで便秘は解消していたのですが、3年目頃からクスリが効かなくなりましてね。クスリを変えたり、食事を見直したり、運動を取り入れたりしましたが65歳を過ぎてから、便秘が益々ひどくなりましてね」

 そんな話をしながら、便秘仲間がだんだんと増えていき、小集団ができて人間関係の輪が広がりそれなりに楽しい情報交換ができるようになった。
 安男は便秘仲間では信頼も厚く、神様、仏様、安男様という位置を確かなものにしていた。

 安男は、哲子の経験から先ずは医者を紹介して、食生活や運動、それにどうしてもというときはクスリをと手順を踏んで情報を提供していた。

 65歳を過ぎるころから、人の体は変化して今まで効いていたクスリも効かなくなる時があることを発見した。
 クスリをおおく飲むと下痢状の便が続きやめると便秘と言う人が結構多くいた。そんな時に安男は自分の経験を話すのであった。自分には効果があったが人それぞれですから、効果のほどは分かりません。

 安男からその話を聞いた人はみんな、安男と同じことをやってみるのであった。ただ一つだけ違うことは、「安男様」と言う言葉が付け加えられるのである
「神様、仏様、安男様、お願いします。どうかウンコを素直に体の外に出してください」と手を合わせるのであった。

安男の家はサロン便秘と言う雰囲気で毎日を多くの同病者が集まってウンコの話で大賑わいであった。妻の哲子もこの雰囲気と人間関係は心が休まり好きであった。参加者がそれぞれにお茶やコーヒーやお茶菓子を持参するのでいつも応接間の隅に置いてある棚の中は飲み物と茶菓子で一杯であった。たまに哲子が手作りのケーキを焼いてコーヒーを入れるのであった。

便秘の話はだんだんと広がり、県外からも安男の家を訪れる人が増えた。平穏無事にウンコの話であっという間に10年の月日が過ぎて、安男は古希を迎え、妻の哲子も67歳を迎えた。

変化と言えば、近頃大便の後にいつしか「色よし、型よし、太さよし」と言うようになっていた。安男は快便、快腸の日々を送っていた。

今日もいつもと同じようにトイレをすませ、新聞に目を通して、来客に備えて部屋の片づけをしようと応接間の横のトイレに差し掛かったとき、トイレの中からブツブツと何かを称えるような声が聞こえた。妻の哲子の声であった。少しだけ聞き取れた内容は「・・・安男様、お願いします。」しばらくたって「こんなバカなことが、不思議だ」

安男はトイレの前を通り過ぎて応接間のソフハーに腰を下ろして肩の力を抜いて一息いれた。その時、哲子が応接間のドアを開けた。背筋を真っ直ぐに伸ばし、さわやかなすっきりとした顔で中に入ってきた。

「今日も忙しくなりますね」と、哲子はいそいそと応接間の掃除を始めた哲子の手作りのケーキとお茶でウンコの話が盛り上がることであろう。

「色よし、型よし、太さよし」と安男は腹の中で繰り返し快便、快腸の笑みを湛えて哲子を迎えた。


2017年12月13日水曜日

8 な み だ 橋

 国に国境があり、県に県境があるように、血縁の親子の中にも越すに越されぬ境がある。

 このなみだ橋は、町と村との境を流れる谷川にかけられている幅三メートル、長さ五メートルほどのごく小さい橋である。小さな橋ではあるが村に住む人々にとっては、自分たちの世界と他の世界とを区別する指標でもあった。村人は旅立つ人をこの橋まで見送る。それから先には一歩も進まない。どんなことがあっても、このなみだ橋で別れを告げる。

 それは、ただ、町との境であるという理由だけではない。一つの自然環境からくる条件もあった。山水の澄んで流れる谷川の裂け目は、そこで人間の行動を抑制する。この橋を越えると一本道は数メートルでカーブし、あっという間に消えてしまう。人との別れに最適の場所であった。
 村人の生活の歴史の中で、この橋は、時には、すすり泣き、また、むせび泣くドラマの舞台であった。

 芳男は、大学生活最後の正月を郷里で過ごすために冬風のざわめく夕暮れの山道を急いでいた。町でバスを降り約十五分、やまのカーブを曲がるとなみだ橋がすぐ目前に白く浮き上がって見える。この橋が見えると、なんだか急に故郷に帰りついた安ど感で一息つき、今までの速歩がゆるむ。

 大学に入学して村を初めて出る時、芳男はこの橋からバス停まで、涙が流れてしようがなかった。この橋を見るたび芳男は、その時の光景を思い出す。見送りの人の顔だけが、印象的にいまだに橋の上にぽつんぽつんと浮かんでくる。

 あれ以来、何度となくこの橋の上で、見送り人との別れの行事を繰り返しているうちに最初のような感動はなくなり、涙も出ることがなくなった。 しかし、別れというものは、さみしいことにはちがいはなかった。

 この村を離れて、芳男は故郷を思うたび「おれの村は巣箱じゃ」とつぶやく。都会にいるとふっと故郷を思い出し、帰省の心にかられるけれども、たまに帰る我が家はもう自分の住む所ではないことがよく実感できた。

 何もかも、自分の寸法に合わなくなっている。この村、この家からは、何も吸収するものはなくなり、さすらう旅人が、疲れをいやすために一夜の宿を借りるほどの役割しか果たさない。

 若い芳男の心臓の鼓動と、この村の生活のテンポは、どこかなじまず大きくくいちがっていた。一週間も滞在すると心のかたすみから徐々に苦痛がおそってくる。それでも、ことしは、正月に芳男の大学卒業と就職祝いを兼ねるということで、親子兄弟孫たちが全員そろって、にぎやかな正月を過ごした。

三人の兄と一人の姉は子持ちなのでいつからともなく自然と母のことを「おばあちゃん」と呼ぶようになったが、一人芳男だけが「かあさん」と呼んでいた。
 芳男は、母が四十過ぎてからの末っ子のせいか親からも、兄弟からも、特別扱いにされている面があった。

 正月も三が日が過ぎると、一人抜け、二人抜けして、また以前の静かな、あの冬の太陽のにぶい光線が縁側でふるえるのがわかるような暮らしにかえる。
 正月三が日は、近年にない暖かい日が続いたが四日から少し気温が下がって、正月らしいひきしまった風が吹いた。

 「かあさん、もう六十五かのう」
 「そうよ、お前の歳に四十三たしゃあいいんじゃけん。じいちゃんが死んだ時、お前が高校じゃった。学校出るまではがんばらにゃと思っとったが、出てしまうと、今度は嫁をもらうまではと思う。だんだん欲が出るもんじゃ。」
 嫁をもらうと孫が生まれるまでと人間の生への欲望は次から次へと続いて果てしがないものである。

 一つの細胞が分裂して二つになり、二つが四つにと増えていくように、親が子を産み、子がまた子を産む。そして、家庭の中心になるのは、いつも一番新しい幼い生命である。
 この新しい幼い生命が核になるような家庭のことを芳男は自分なりに核家族と名付けていた。核分裂を起こすたびに、中心は外へ外へと、はじき出されて大宇宙の中に飛散して自然に帰る。

 「もう、あした行くで」
 「あわてて、芳も向こうにいい女がおるんじゃねえのか」
 長男のはじめが、冗談とも本気ともつかぬ口調で横から口をはさんだ。

 翌日は、目に見えぬような細かい雪が、時おり風に乗って、庭の木々の間を舞って、空から降っているのか、黒い大地から吹き上げられているのかわからない天気であった。

 いつものように、芳男と母が先を、兄夫婦と子供たちが後ろから、荷物を持って見送ってくれた。
 「かあさん、たよりのない時は元気にしとると思って、心配せんでくれや」
 「たよりがいつくるかと心配しとるぐらいじゃ」

 みんなは大笑いした。なみだ橋の上で兄から荷物を受取り、別れのあいさつをして橋を離れた。
 いつもの芳男は決して振り返らなかったが、きょうは、大笑いの余韻もあって、いい気分で振り返った。

 鉄筋づくりのさむざむとしたなみだ橋の上に、右手を橋のらんかんに、左手をわずかに後ろにまわした石造の彫塑を思わせる母の無表情な何かに耐えている姿があった。


 身をしぼるような冷たい涙が体内を流れた。


     自 選 一 句
        
          きりきりと寂しさが通り過ぎる春   掌

2017年12月2日土曜日

7 タ ニ シ ど ん

 昨日の寒さはうそのように、今日は春めいた風のない日差しが窓から差し込んでいた。机の上には、首を高く突き出したシクラメンの花が四つ咲いていた。

 社員は昼食に、また、昼休みのスポーツにと部屋を出払って、一人健吉だけが妻の手作りの弁当を終わり、熱い茶をすすっていた。

 「うん、後一か月か」
近ごろ健吉はこうつぶやくことが多くなった。年が明けての一日一日がいとも簡単に無造作に過ぎて行くのをどうすることもできなかった。健吉は、この三月末日を持って定年退職の日を迎えるのである。別にこの仕事に未練があるわけでも、また、野心があるわけでもなかったが、退職の日が日一日と近づくに連れて、確かに体から力が抜けていくように思われてならなかった。

 学校を出て三十有余年、この会社一筋に、といえば格好はいいが、何度かやめて他の仕事をしたいと思いながら、とうとう定年まできてしまった。

 健吉は茶をのみ終わるとたばこに火をつけ、くるりとストーブの方に向きを変えて、プーッとたばこの煙を天井に吐き出した。

 「こんにちは、人形はいりませんかな」と、肩から白ひもでブリキのカンを下げた六十歳前後の行商人がはいってきた。
 男は、カンをあいた机の上に置くと、ポケットからたばこを取り出し火をつけた。
「ちょっと一一服させてください」と、イスに腰をおろすと健吉と向かい合った。
 「どんな人形です。」と、健吉は無愛想に一言たずねた。
 「タニシで作った人形です。私と家内と二人で作り、ひまを見ては、こうやって私が売り歩いています。去年は人形大会で、私たちの作ったタニシの人形が賞をもらいました」
 実直そうな職人気質の男のようで、自分の作った人形が賞をもらったというのも本当であろうと健吉は思った。しかし、定年退職を前にして、いまさら人形でもなかろう、買う気はもうとう見る気さえもしなかった。

 男は、二本目のタバコに火をつけた。健吉は、茶を入れ男にすすめた。
 「売れますか」
 「はい、けっこう売れましてね。病院が一番よく出ます。タニシの養殖から、人形の仕上げまで、一つ一つ根気のいる仕事です。小さいですから」
 「タニシの人形とは珍しいですな」
 「タニシという動物もかわいそうな生き物ですよ。タニシの雌は、卵をはらみ子がかえると自分の身を子に食わして子を育てる。いよいよ自分の死期が近づくと藻に子を移して、自分は自然に分解してしまう。あのかたいからもフワフワになって、水の中で溶けてしまう」
 「雄はどうなります」
 「雄は、雌のタニシが子を無事に藻に移し終わるころ、時を同じくして、いと屑のようにやせ細り、カラからすっぽ抜けて死んでしまう」

 健吉はタニシどんについての認識を改めなければいけないと思った。

 「この話は大学の教授から聞いた話で、私もタニシを養殖していますから、うそじゃありません。もっとも、私の人形に使っているタニシは死んだタニシじゃありません。死んだタニシじゃどうしてもつやが出ませんから」

 話の真実はともかく、健吉はタニシどんに深く興味を覚え、タニシドンの生き方に感激した。
 「おじさん、人形を見せてもらおうか」
 ブリキのカンのふたを開けて、ちり紙に包んだ人形をいくつか取り出した。タヌキ、船頭、おじいさんと孫娘の旅姿の三種類の人形が机の上に出された。五十円、二百円と説明がつけ加えられた。

 健吉は即座に全部買った。健吉は人形の全部が気に入った。
 ユーモラスなタヌキ、トンチのある顔をした船頭、そして悲しいまでも温かなおじいさんと孫娘の旅姿の人形。それが皆、あの悲劇の動物タニシドンから作られている。

 特におじいさんと孫娘の人形は健吉の心を打った。にゅうわな顔のおじいさんに、むじゃきな顔の孫娘が手をひかれ、これからどこへ行こうとしているのか。

 健吉は四月に一年に入学する孫の姿を思い出した。そして、五十八歳までの自分の生活を回顧した。会社のために、社会のために、家族のために自分は何をしたというのか。

 タニシどんの親は死ぬ時に言ったであろう。
 「お前たちに何も残してやることができなかった。お前たちだけが残った。お前たちも、立派な子をたくさん残しておくれよ」と。

 タニシどんの人形を見ていると、タニシの親子、タニシの夫婦に無常を感じるのである。


    自 撰 一 句

         すやすやと熊のプーさん掛け毛布   掌


2017年11月16日木曜日

6 黙 と う

 
 冷たい冬の星座が、ちかちかと輝いていた。

 空を仰ぐのも久し振りだ。振り返ると、街路樹の彼方にオリオンが澄んで見える。突然、進の背後から、けたたましいサイレンの耳をつんざく音が追いかけてきた。酒に酔った頭は一瞬混乱し、そして、異様に冴えてきた。もう忘れてしまっていたはずの二十数年前の記憶が体の中を駆け巡るのである。

 日本は昭和十六年十二月八日、突如ハワイ真珠湾を攻撃し、太平洋戦争は勃発した。緒戦の有利もつかの間、連合軍の反撃にあい、十七年ミッドウェー海戦で海軍は大打撃を受け、十八年アッツ島陥落と窮地に追い込まれていった。

 忘れもしない、昭和十九年、中学五年生の春であった。

 第一回軍事教練の時間。その年、赴任してきた配属将校は陸軍中尉の後藤伸介教官であった。年は確か二十七歳であったろうか、独身の情熱あふれる忠君愛国、孝養心の強い厳しい教官であった。

 「奉安殿に向かって、最敬礼、・・・直れ。本年度、第一回の軍事教練を行うに当たって精神統一のために、一分間の黙とうを行う。全員、気をつけ、黙とう」

 若さに満ちあふれた凛とした青年将校の声が、校庭にこだますると、一瞬、真空状態になった。教官の命令にしたがって、全生徒は直立不動の姿勢で目をつぶった。

 「学校教練ノ目的ハ、学徒二軍事的基礎訓練ヲ施シ、至誠尽忠ノ精神培養ヲ根本トシテ心身一体ノ実践鍛錬ヲ行ウニアル」

 青年将校は、進の前で立ち止まると、いきなり平手で、往復ビンタを二、三発食らわした。進の細い体は左右にぐらつき、今にも倒れそうになった。

 「名前を言え」
 「大木 進です」
 「なぜ、目をつぶらん」
 「目がつぶれないのです」

 青年将校は、はっとして、進の顔を、目を見た。左目のまぶたのところに手術のあとがあり、進の左目は義眼であったのである。

 「つぶせないはずはない。努力をしろ、目をつぶせ、命令だ」

 青年将校の声は、容赦無く進の心につきささっていった。
 進は直立不動の姿勢で歯を食い縛って目をつぶそうと頑張った。 しかし、この目はつぶれない。

 「左手を出せ、もっと上に上げろ、人さし指を出せ、目を押さえろ」
 目を押さえた左手の人さし指をつたわって、進の涙がはらはらとこぼれ落ちた。

 昭和十九年十月サイパン島が攻略され、ラバウルも孤立した。その年の夏より、中学三年生以上は、学徒動員令により大分第十二海軍航空廠に動員された。大中、別中、第一高女、岩田、日出と、十代の青少年が血を流した。

 海軍航空廠修理工場には、雷電、紫電、銀河、月光と日本の戦闘機が戦場より次々と送りこまれた。
 進はグラマンにぶちぬかれた零式艦上戦闘機の胴体の一部をドリルで切取り、新しい材料をリベットでとめる仕事をした。

 仕事の合間を縫って、厳しい軍事教練は続いた。軍事教練のたびに進は、言い知れぬ屈辱感を味わい、この戦争に、そして、あの青年将校に言い知れぬ憤りを感じるのである。

 ある日、青年将校は進に言った。「今夜、うちにこい。命令だ。話がある」

 進は教官の命令にしたがって、青年将校の家を訪ねた。

 「いよいよ、僕も現役兵として、戦地に行くことになった。出発する前に、君と和解をしておきたい。僕には君の気持ちがよくわかる」

 何がわかるものか、進の心は閉じたまま進自身でさえもどうすることもできなかった。隣の部屋から男の声がした。

 「伸介、すまんが、茶をいっぱい入れてくれんか」青年将校は立って、襖をあけた。

 床の間を背にして、一人の老人が正座していた。父である。
 進はじっとその老人の顔を見つめた。進は一目見てわかったのである。青年将校の父は盲目であった。

 伸介は茶を注ぐと、父の左手を取り、湯飲みをしっかりと握らせた。

 進は立ち上がって、直立不動の姿勢になると、左手の人さし指で目を押さえ、黙とうして青年将校を迎えた。

 目をつぶった進の顔は穏やかに微笑していた。
 青年将校は進の手を取った。あたたかい血がかよった。青年将校伸介のひとみには涙が光っていた。

 オリオンがまばたいて、救急車のサイレンの音が遠くに消えていった。酔い覚めの寒さに身震いすると、進はオーバーの襟を立てて足早に家路に向かった。

   
     自 撰 一 句
       
          難民の景を茶の間に文化の日