2018年2月1日木曜日

  素晴らしき脱税

 ここは大分県の南の端、いわしと芋の産地K町である。K町におろやんとしめやんという実に仲のよい二人のおばあさんがいた。どうしてこの二人、仲がよいかというと、ちょっとしたわけがあった。
 
おろやんもしめやんも、朝から晩まで、孫の守りをして、町中を歩きまわって一日を過ごしていた。おまけに、二人とも実によく屁をひるくさい仲であった。

 屁をひるといっても、おろやんとしめやんの屁は、気持ちのよい、豪快な屁であった。妙な臭いを発散させない、無色無臭のいい音の屁で、どんな偏屈な人間でも声を出して笑わずにはいられない。

 屁をひるタイミングが実によい。

 今日も朝から孫をおんぶしたかおろやんとしめやんは、海岸ぞいを散歩しながら町役場の方へと歩いていた。

 冬の寒い北風が吹きはじめると、役場のコンクリートの塀に囲まれた中庭は、子守り連中にとっては恰好な場所である。朝一番、早くそこに出勤するのがおろやんとしめやんであり、役場勤めの誰よりも早く、帰りは帰りで一番最後までそこに居た。
 役場に出勤する一人一人にていねいに朝のあいさつをするのである。にこにこと実にほがらかに
「町長さんおはようございます。(プー)
まあ、どうも失礼しました。(プー)」
 来る人、来る人にこの調子であり、毎朝のことなので、みんなも慣れてしまい、かえって、プーとでない時の方が変な気持ちになり今日は体の具合いでも悪いのではなかろうかと心配するぐらいであった。
 
おろやんとしめやんは、プーとやるたびに爽快な心持ちになるので、まあ、いいとしても、二人の家族の者はみな難儀をしていた。

 特に、むすこは、何とかして屁をひるのをやめてもらいたいと思っていた。そして、おばあさんの屁は、きっと、精神がたるんでいるからにちがいないと考えて、或る日、
 「おばあちゃんよ、今度から屁にも税金がかかるちゅうことじゃ、すこし気をつけてもらわにゃなあ」と注意した。
 
おばあちゃんも税金と聞いて、少し体が緊張して、精神が引きしまった。すると、景気よく、プー。
 ひょっとすると、おばあちゃんは、精神がたるんで屁をひるのではなく、過度に緊張した時にこそ屁をひるのかも。

 「わしだけじゃない。しめやんだって、わしよりも大きな屁をひる。しめやんにだって上納がかかるわい」
 そう思ったおろやんは、まあ、しめやんと相談して対策を考えることにした。
 
翌朝、いつものように孫をおぶって役場に行く途中で、しめやんに出合った。
 「しめやんよ、しめやんよ」おろやんは日頃よりも少し小さい声で、それでも普通の人と同じくらいな声で
 「よんべ聞いたことじゃけんど、大変な法律ができたもんよ、あのな、大きな声でゆえんけど屁にも税金がかかるちゅう話しじゃ」
 「そりゃあ、たまらんことよのう」
 「それで、しめやんよ、今日からは自由に屁もひられんぞ」
「おろやんよ、屁をひっても、役場んしにわからにゃ`いいし、誰にもゆわにゃ、わからせんもん」
「ほんに、そうよのう」

 納得したおろやんとしめやんは、役場の方にしりをむけて、一発大きな屁をプーとやると、役場とは反対の方向に歩き始めた。

 この日より、町の人々は、誰もおろやんとしめやんのあの豪快な屁の音を聞いた人がいないということである。
むすこは果たしてこれで良かったのかと自問自答している。

2018年1月31日水曜日

  神様、仏様、安男様


安男は無神論者であった。

 今年3月に満60歳の定年退職をして、悠々自適の年金生活に入った。三歳年下の妻、哲子もいたって健康で、長男夫婦に二人の孫、娘夫婦に一人の孫、計三人の孫に恵まれて順風満帆の生活を送っていた。

安男は根っからの無神論者で神も仏もその存在を信じていなかった。神社に行ってもお寺に行っても手を合わせることも願い事を唱えることもなく、ただぼうっとその場に立って眺めているだけであった。

 ただ、その場に居るだけで心も体も自然に落ち着くことは確かであった。
そんなある日突然安男は便秘の症状で苦しみ始めた。

 「ばかな、今までにウンコが出ないことなんてあったか」
生まれてこの方、便秘などまったく経験がなく考えたこともなかった。
 無神論者の安男は、便座に座るたびにウンコが出ないことがどれほど苦しいことかを思い知るのであった。

 この苦しさに耐えかねて、ある日安男は便座に座って自然に手を合わせた。
 「神様、仏様お願いします。どうかウンコを素直に体の外に出してください」
 便座に座って今の今まで不安でかちかちに硬直していた体から、スーッと力が抜けていき嘘のように安心の境地に達した。
 「どうしたことだ。これはどうしたことだ」

 安男は、また手を合わせて、今度は前よりももっと心を込めて、前よりも少しはっきりとした声で
「神様、仏様、お願いします。ウンコを体の外に出してください」
 すると力の抜けた体のお腹の腸の辺りがぐるぐると動くのを感じた。

 安男は涙を流しながら
 「神様、仏様ありがとうございます。ありがとうございます」
 なんということだ。久しく感じたことのない腸の動きが活発になり、心地よい太さと硬さのウンコが静に体外に排出されていくのを実感した。
 なんと清清しい気分だ。それからは便座に座るたびに合掌して「神様、仏様、どうかウンコを素直に体の外に出してください。お願いします」と唱えるようになった。

 それ以来、安男はウンコの神様仏様を信じるようになったが、だからといって、信心深い信者になったとは思っていなかった。あいかわらず自分は無神論者だと思っていた。

 ただただ、ウンコの神様仏様に手を合わせると便秘が解消することだけは実感として確信できた。
 便座に座って手を合わせ、呪文を唱えている姿は外から見れば異様に映るだろう。しかし、本人にとってはいたってまじめで真剣そのものである。もっとも、便座に座って呪文を唱えている光景など外から客観的に見ることはまずなかろうが。

 安男はまわりに便秘の人がいると自分の体験を話したくて、話したくてついつい自分の経験した一部始終を話してしまうのであった。

 しかし、この話を聞いた便秘の人は笑って誰も安男の話を信じようとしないばかりか、ばかばかしい話として一笑に付した。
 それでもあまりにも便秘がひどく、クスリの効果もなくなるとついばかばかしいと一笑に付したあのことを試してみると不思議なことに多くの人が便秘を解消して清清しい一日をおくることができるようになるのであった。

 そのうちに誰言うともなく、「神様、仏様、安男様」と、安男の名前が付け加えられて唱えられるようになった。うわさはうわさを呼んで、安男の名前は有名になっていった。

 ただ一人、妻の哲子だけはこのことを信じていなかった。
 「ばかな」とつぶやくのである。

 しかし、その妻の哲子にも今までに経験したことのない強烈な便秘に襲われたのである。論理的で冷静な哲子は、先ず、掛かりつけの病院に行って主治医の鈴木医師の診断を受け、食生活と運動を見直すことにした。鈴木先生の食生活も運動も現在の生活で十分であることが分かり、取りあえず便秘の薬を処方してもらった。

 食生活では、今までよりも少しだけヨーグルトの量を増やし、努めて植物繊維を取るように心がけた。病院に行った日の午後と夕食後のクスリが効いて次の日は以前と同じように便秘は解消し、快調な生活に戻った。

 哲子は、生活習慣とクスリが便秘を解消することを確信した。

 安男の所には、年金生活者の60代の男女が多く相談に来ていた。その度に妻の哲子はお茶を入れ相談者の話し相手をするのであった。
 「私もつい最近便秘になりかかってね。鈴木医院でクスリを貰ってすぐに解決しました」
 「そうですか。私も初めのうちはクスリで便秘は解消していたのですが、3年目頃からクスリが効かなくなりましてね。クスリを変えたり、食事を見直したり、運動を取り入れたりしましたが65歳を過ぎてから、便秘が益々ひどくなりましてね」

 そんな話をしながら、便秘仲間がだんだんと増えていき、小集団ができて人間関係の輪が広がりそれなりに楽しい情報交換ができるようになった。
 安男は便秘仲間では信頼も厚く、神様、仏様、安男様という位置を確かなものにしていた。

 安男は、哲子の経験から先ずは医者を紹介して、食生活や運動、それにどうしてもというときはクスリをと手順を踏んで情報を提供していた。

 65歳を過ぎるころから、人の体は変化して今まで効いていたクスリも効かなくなる時があることを発見した。
 クスリをおおく飲むと下痢状の便が続きやめると便秘と言う人が結構多くいた。そんな時に安男は自分の経験を話すのであった。自分には効果があったが人それぞれですから、効果のほどは分かりません。

 安男からその話を聞いた人はみんな、安男と同じことをやってみるのであった。ただ一つだけ違うことは、「安男様」と言う言葉が付け加えられるのである
「神様、仏様、安男様、お願いします。どうかウンコを素直に体の外に出してください」と手を合わせるのであった。

安男の家はサロン便秘と言う雰囲気で毎日を多くの同病者が集まってウンコの話で大賑わいであった。妻の哲子もこの雰囲気と人間関係は心が休まり好きであった。参加者がそれぞれにお茶やコーヒーやお茶菓子を持参するのでいつも応接間の隅に置いてある棚の中は飲み物と茶菓子で一杯であった。たまに哲子が手作りのケーキを焼いてコーヒーを入れるのであった。

便秘の話はだんだんと広がり、県外からも安男の家を訪れる人が増えた。平穏無事にウンコの話であっという間に10年の月日が過ぎて、安男は古希を迎え、妻の哲子も67歳を迎えた。

変化と言えば、近頃大便の後にいつしか「色よし、型よし、太さよし」と言うようになっていた。安男は快便、快腸の日々を送っていた。

今日もいつもと同じようにトイレをすませ、新聞に目を通して、来客に備えて部屋の片づけをしようと応接間の横のトイレに差し掛かったとき、トイレの中からブツブツと何かを称えるような声が聞こえた。妻の哲子の声であった。少しだけ聞き取れた内容は「・・・安男様、お願いします。」しばらくたって「こんなバカなことが、不思議だ」

安男はトイレの前を通り過ぎて応接間のソフハーに腰を下ろして肩の力を抜いて一息いれた。その時、哲子が応接間のドアを開けた。背筋を真っ直ぐに伸ばし、さわやかなすっきりとした顔で中に入ってきた。

「今日も忙しくなりますね」と、哲子はいそいそと応接間の掃除を始めた哲子の手作りのケーキとお茶でウンコの話が盛り上がることであろう。

「色よし、型よし、太さよし」と安男は腹の中で繰り返し快便、快腸の笑みを湛えて哲子を迎えた。


2017年12月13日水曜日

  な み だ 橋

 国に国境があり、県に県境があるように、血縁の親子の中にも越すに越されぬ境がある。

 このなみだ橋は、町と村との境を流れる谷川にかけられている幅三メートル、長さ五メートルほどのごく小さい橋である。小さな橋ではあるが村に住む人々にとっては、自分たちの世界と他の世界とを区別する指標でもあった。村人は旅立つ人をこの橋まで見送る。それから先には一歩も進まない。どんなことがあっても、このなみだ橋で別れを告げる。

 それは、ただ、町との境であるという理由だけではない。一つの自然環境からくる条件もあった。山水の澄んで流れる谷川の裂け目は、そこで人間の行動を抑制する。この橋を越えると一本道は数メートルでカーブし、あっという間に消えてしまう。人との別れに最適の場所であった。
 村人の生活の歴史の中で、この橋は、時には、すすり泣き、また、むせび泣くドラマの舞台であった。

 芳男は、大学生活最後の正月を郷里で過ごすために冬風のざわめく夕暮れの山道を急いでいた。町でバスを降り約十五分、やまのカーブを曲がるとなみだ橋がすぐ目前に白く浮き上がって見える。この橋が見えると、なんだか急に故郷に帰りついた安ど感で一息つき、今までの速歩がゆるむ。

 大学に入学して村を初めて出る時、芳男はこの橋からバス停まで、涙が流れてしようがなかった。この橋を見るたび芳男は、その時の光景を思い出す。見送りの人の顔だけが、印象的にいまだに橋の上にぽつんぽつんと浮かんでくる。

 あれ以来、何度となくこの橋の上で、見送り人との別れの行事を繰り返しているうちに最初のような感動はなくなり、涙も出ることがなくなった。 しかし、別れというものは、さみしいことにはちがいはなかった。

 この村を離れて、芳男は故郷を思うたび「おれの村は巣箱じゃ」とつぶやく。都会にいるとふっと故郷を思い出し、帰省の心にかられるけれども、たまに帰る我が家はもう自分の住む所ではないことがよく実感できた。

 何もかも、自分の寸法に合わなくなっている。この村、この家からは、何も吸収するものはなくなり、さすらう旅人が、疲れをいやすために一夜の宿を借りるほどの役割しか果たさない。

 若い芳男の心臓の鼓動と、この村の生活のテンポは、どこかなじまず大きくくいちがっていた。一週間も滞在すると心のかたすみから徐々に苦痛がおそってくる。それでも、ことしは、正月に芳男の大学卒業と就職祝いを兼ねるということで、親子兄弟孫たちが全員そろって、にぎやかな正月を過ごした。

三人の兄と一人の姉は子持ちなのでいつからともなく自然と母のことを「おばあちゃん」と呼ぶようになったが、一人芳男だけが「かあさん」と呼んでいた。
 芳男は、母が四十過ぎてからの末っ子のせいか親からも、兄弟からも、特別扱いにされている面があった。

 正月も三が日が過ぎると、一人抜け、二人抜けして、また以前の静かな、あの冬の太陽のにぶい光線が縁側でふるえるのがわかるような暮らしにかえる。
 正月三が日は、近年にない暖かい日が続いたが四日から少し気温が下がって、正月らしいひきしまった風が吹いた。

 「かあさん、もう六十五かのう」
 「そうよ、お前の歳に四十三たしゃあいいんじゃけん。じいちゃんが死んだ時、お前が高校じゃった。学校出るまではがんばらにゃと思っとったが、出てしまうと、今度は嫁をもらうまではと思う。だんだん欲が出るもんじゃ。」
 嫁をもらうと孫が生まれるまでと人間の生への欲望は次から次へと続いて果てしがないものである。

 一つの細胞が分裂して二つになり、二つが四つにと増えていくように、親が子を産み、子がまた子を産む。そして、家庭の中心になるのは、いつも一番新しい幼い生命である。
 この新しい幼い生命が核になるような家庭のことを芳男は自分なりに核家族と名付けていた。核分裂を起こすたびに、中心は外へ外へと、はじき出されて大宇宙の中に飛散して自然に帰る。

 「もう、あした行くで」
 「あわてて、芳も向こうにいい女がおるんじゃねえのか」
 長男のはじめが、冗談とも本気ともつかぬ口調で横から口をはさんだ。

 翌日は、目に見えぬような細かい雪が、時おり風に乗って、庭の木々の間を舞って、空から降っているのか、黒い大地から吹き上げられているのかわからない天気であった。

 いつものように、芳男と母が先を、兄夫婦と子供たちが後ろから、荷物を持って見送ってくれた。
 「かあさん、たよりのない時は元気にしとると思って、心配せんでくれや」
 「たよりがいつくるかと心配しとるぐらいじゃ」

 みんなは大笑いした。なみだ橋の上で兄から荷物を受取り、別れのあいさつをして橋を離れた。
 いつもの芳男は決して振り返らなかったが、きょうは、大笑いの余韻もあって、いい気分で振り返った。

 鉄筋づくりのさむざむとしたなみだ橋の上に、右手を橋のらんかんに、左手をわずかに後ろにまわした石造の彫塑を思わせる母の無表情な何かに耐えている姿があった。


 身をしぼるような冷たい涙が体内を流れた。


     自 選 一 句
        
          きりきりと寂しさが通り過ぎる春   掌

2017年12月2日土曜日

  タ ニ シ ど ん

 昨日の寒さはうそのように、今日は春めいた風のない日差しが窓から差し込んでいた。机の上には、首を高く突き出したシクラメンの花が四つ咲いていた。

 社員は昼食に、また、昼休みのスポーツにと部屋を出払って、一人健吉だけが妻の手作りの弁当を終わり、熱い茶をすすっていた。

 「うん、後一か月か」
近ごろ健吉はこうつぶやくことが多くなった。年が明けての一日一日がいとも簡単に無造作に過ぎて行くのをどうすることもできなかった。健吉は、この三月末日を持って定年退職の日を迎えるのである。別にこの仕事に未練があるわけでも、また、野心があるわけでもなかったが、退職の日が日一日と近づくに連れて、確かに体から力が抜けていくように思われてならなかった。

 学校を出て三十有余年、この会社一筋に、といえば格好はいいが、何度かやめて他の仕事をしたいと思いながら、とうとう定年まできてしまった。

 健吉は茶をのみ終わるとたばこに火をつけ、くるりとストーブの方に向きを変えて、プーッとたばこの煙を天井に吐き出した。

 「こんにちは、人形はいりませんかな」と、肩から白ひもでブリキのカンを下げた六十歳前後の行商人がはいってきた。
 男は、カンをあいた机の上に置くと、ポケットからたばこを取り出し火をつけた。
「ちょっと一一服させてください」と、イスに腰をおろすと健吉と向かい合った。
 「どんな人形です。」と、健吉は無愛想に一言たずねた。
 「タニシで作った人形です。私と家内と二人で作り、ひまを見ては、こうやって私が売り歩いています。去年は人形大会で、私たちの作ったタニシの人形が賞をもらいました」
 実直そうな職人気質の男のようで、自分の作った人形が賞をもらったというのも本当であろうと健吉は思った。しかし、定年退職を前にして、いまさら人形でもなかろう、買う気はもうとう見る気さえもしなかった。

 男は、二本目のタバコに火をつけた。健吉は、茶を入れ男にすすめた。
 「売れますか」
 「はい、けっこう売れましてね。病院が一番よく出ます。タニシの養殖から、人形の仕上げまで、一つ一つ根気のいる仕事です。小さいですから」
 「タニシの人形とは珍しいですな」
 「タニシという動物もかわいそうな生き物ですよ。タニシの雌は、卵をはらみ子がかえると自分の身を子に食わして子を育てる。いよいよ自分の死期が近づくと藻に子を移して、自分は自然に分解してしまう。あのかたいからもフワフワになって、水の中で溶けてしまう」
 「雄はどうなります」
 「雄は、雌のタニシが子を無事に藻に移し終わるころ、時を同じくして、いと屑のようにやせ細り、カラからすっぽ抜けて死んでしまう」

 健吉はタニシどんについての認識を改めなければいけないと思った。

 「この話は大学の教授から聞いた話で、私もタニシを養殖していますから、うそじゃありません。もっとも、私の人形に使っているタニシは死んだタニシじゃありません。死んだタニシじゃどうしてもつやが出ませんから」

 話の真実はともかく、健吉はタニシどんに深く興味を覚え、タニシドンの生き方に感激した。
 「おじさん、人形を見せてもらおうか」
 ブリキのカンのふたを開けて、ちり紙に包んだ人形をいくつか取り出した。タヌキ、船頭、おじいさんと孫娘の旅姿の三種類の人形が机の上に出された。五十円、二百円と説明がつけ加えられた。

 健吉は即座に全部買った。健吉は人形の全部が気に入った。
 ユーモラスなタヌキ、トンチのある顔をした船頭、そして悲しいまでも温かなおじいさんと孫娘の旅姿の人形。それが皆、あの悲劇の動物タニシドンから作られている。

 特におじいさんと孫娘の人形は健吉の心を打った。にゅうわな顔のおじいさんに、むじゃきな顔の孫娘が手をひかれ、これからどこへ行こうとしているのか。

 健吉は四月に一年に入学する孫の姿を思い出した。そして、五十八歳までの自分の生活を回顧した。会社のために、社会のために、家族のために自分は何をしたというのか。

 タニシどんの親は死ぬ時に言ったであろう。
 「お前たちに何も残してやることができなかった。お前たちだけが残った。お前たちも、立派な子をたくさん残しておくれよ」と。

 タニシどんの人形を見ていると、タニシの親子、タニシの夫婦に無常を感じるのである。


  自選一句

         すやすやと熊のプーさん掛け毛布


2017年11月16日木曜日

   黙 と う

 
 冷たい冬の星座が、ちかちかと輝いていた。

 空を仰ぐのも久し振りだ。振り返ると、街路樹の彼方にオリオンが澄んで見える。突然、進の背後から、けたたましいサイレンの耳をつんざく音が追いかけてきた。酒に酔った頭は一瞬混乱し、そして、異様に冴えてきた。もう忘れてしまっていたはずの二十数年前の記憶が体の中を駆け巡るのである。

 日本は昭和十六年十二月八日、突如ハワイ真珠湾を攻撃し、太平洋戦争は勃発した。緒戦の有利もつかの間、連合軍の反撃にあい、十七年ミッドウェー海戦で海軍は大打撃を受け、十八年アッツ島陥落と窮地に追い込まれていった。

 忘れもしない、昭和十九年、中学五年生の春であった。

 第一回軍事教練の時間。その年、赴任してきた配属将校は陸軍中尉の後藤伸介教官であった。年は確か二十七歳であったろうか、独身の情熱あふれる忠君愛国、孝養心の強い厳しい教官であった。

 「奉安殿に向かって、最敬礼、・・・直れ。本年度、第一回の軍事教練を行うに当たって精神統一のために、一分間の黙とうを行う。全員、気をつけ、黙とう」

 若さに満ちあふれた凛とした青年将校の声が、校庭にこだますると、一瞬、真空状態になった。教官の命令にしたがって、全生徒は直立不動の姿勢で目をつぶった。

 「学校教練ノ目的ハ、学徒二軍事的基礎訓練ヲ施シ、至誠尽忠ノ精神培養ヲ根本トシテ心身一体ノ実践鍛錬ヲ行ウニアル」

 青年将校は、進の前で立ち止まると、いきなり平手で、往復ビンタを二、三発食らわした。進の細い体は左右にぐらつき、今にも倒れそうになった。

 「名前を言え」
 「大木 進です」
 「なぜ、目をつぶらん」
 「目がつぶれないのです」

 青年将校は、はっとして、進の顔を、目を見た。左目のまぶたのところに手術のあとがあり、進の左目は義眼であったのである。

 「つぶせないはずはない。努力をしろ、目をつぶせ、命令だ」

 青年将校の声は、容赦無く進の心につきささっていった。
 進は直立不動の姿勢で歯を食い縛って目をつぶそうと頑張った。 しかし、この目はつぶれない。

 「左手を出せ、もっと上に上げろ、人さし指を出せ、目を押さえろ」
 目を押さえた左手の人さし指をつたわって、進の涙がはらはらとこぼれ落ちた。

 昭和十九年十月サイパン島が攻略され、ラバウルも孤立した。その年の夏より、中学三年生以上は、学徒動員令により大分第十二海軍航空廠に動員された。大中、別中、第一高女、岩田、日出と、十代の青少年が血を流した。

 海軍航空廠修理工場には、雷電、紫電、銀河、月光と日本の戦闘機が戦場より次々と送りこまれた。
 進はグラマンにぶちぬかれた零式艦上戦闘機の胴体の一部をドリルで切取り、新しい材料をリベットでとめる仕事をした。

 仕事の合間を縫って、厳しい軍事教練は続いた。軍事教練のたびに進は、言い知れぬ屈辱感を味わい、この戦争に、そして、あの青年将校に言い知れぬ憤りを感じるのである。

 ある日、青年将校は進に言った。「今夜、うちにこい。命令だ。話がある」

 進は教官の命令にしたがって、青年将校の家を訪ねた。

 「いよいよ、僕も現役兵として、戦地に行くことになった。出発する前に、君と和解をしておきたい。僕には君の気持ちがよくわかる」

 何がわかるものか、進の心は閉じたまま進自身でさえもどうすることもできなかった。隣の部屋から男の声がした。

 「伸介、すまんが、茶をいっぱい入れてくれんか」青年将校は立って、襖をあけた。

 床の間を背にして、一人の老人が正座していた。父である。
 進はじっとその老人の顔を見つめた。進は一目見てわかったのである。青年将校の父は盲目であった。

 伸介は茶を注ぐと、父の左手を取り、湯飲みをしっかりと握らせた。

 進は立ち上がって、直立不動の姿勢になると、左手の人さし指で目を押さえ、黙とうして青年将校を迎えた。

 目をつぶった進の顔は穏やかに微笑していた。
 青年将校は進の手を取った。あたたかい血がかよった。青年将校伸介のひとみには涙が光っていた。

 オリオンがまばたいて、救急車のサイレンの音が遠くに消えていった。酔い覚めの寒さに身震いすると、進はオーバーの襟を立てて足早に家路に向かった。

   
          自選一句
       
          難民の景を茶の間に文化の日

          

                               

2017年11月7日火曜日

  マ ッ タ ケ


長男のはじめは、酒の燗をつけながら、妻の滝子に言った。
「もう焼けたんじゃないんか。焼けたら一番にばあちゃんに持っていかにゃあ」

 村の秋祭りの日、おかよばあさんの家では子供たちが全員集まり、ばあさんの取ってきたマッタケ料理で酒盛りが始まる。
 ばあさんにとっても、子供たちにとってもこの家の一年の最大に楽しい行事であった。

 隣村に嫁いでいる一人娘の玉江も孫を連れて帰ってくる。

 家の中が、焼きマッタケの香ばしいかおりで充満するころ、おかよばあさんを中心に子供たちは膳につく。
 長男の嫁の滝子が、手で細かくさいた焼きマッタケを皿に盛り分け、カボスとしょうゆをかけ、気ぜわしく運ぶ。焼きマッタケを冷えない熱いうちに食べるのである。

 この村では、おかよばあさんのことを、マッタケばあさんと呼ぶ。柿がうれ、栗の実がはじけ落ちるころになると、おかよばあさんは毎年かごいっぱいのマッタケを取ってくる。

 村の衆も、おかよばあさんの行動には、目を光らせ、ばあさんが山に入ると尾行する者もあるのだが、途中でまかれて、一人で山を降りる。すると、ばあさんは、かごいっぱいのマッタケを取ってもう家に帰っている。

 じいさんが死んで、ばあさんにとっては、こうやって、子供や孫に囲まれて、焼きマッタケに熱燗の酒をコップ一杯ほど飲むことは得も言われぬ楽しみであった。
 今にして思えば、じいさんが残してくれたものの中で、このマッタケが一番ありがたい遺産である。

 長男のはじめが生まれた次の年に、じいさんからマッタケの秘密を教えられた。
 「おかよ。かごを持っち、わしについちこい。いいか、道をよく覚えておけよ。マッタケというもんはな、木のすぐ根にあるもんじゃない。枯れ葉がこんもりと少し盛り上がちょる。しろうとには、なかなか見つかるもんじゃないけんのう。」

 おかよは、夫の持つ、たった一つの秘密を聞かされた。それは夫の妻に対する全幅の信頼と、愛情の表現であった。

 おかよばあさんは、きょうは気持ちよく酔っていた。マッタケはおかよばあさんにとって、過ぎし昔日の思い出をさそう唯一のものであり、じいさんを思い出し、幸福感にひたり、これからの生き甲斐となり、人を見る目を養うものでもあった。

 しかし、近ごろめっきりふけこみ、神経痛も出はじめ、おかよばあさんも、もうこのへんでだれかに、マッタケの遺産相続をしなければと思うのである。

 長男のはじめにゆずりたいのだが、人がいいばっかりで、しゃんとしたところがない。あれでは、村のかしこい同僚にマッタケの秘密を取り上げられてしまうだろう。

 次男のつぎおは、しっかりしているが、あれにゆずれば、一人じめにして家族きょうだいに分け与え、楽しむような精神がない。いさかいの種になる。

 三男のみつお、これには困っている。酒は飲むし、かけごとは好きだし、マッタケの秘密であろうと、なんであろうと、銭にかえてしまうに違いない。

 四男のよしおは、東京で就職し、もうこの村には帰ってこまい。娘の玉江は、嫁に行った者じゃけに、対象外である。さてさて、おかよばあさんは困ってしまう。ばあさんのめがねにかなう子供はいない。

 マッタケの秘密をゆずるには、それ相応の資質が要求される。ばあさんはばあさんなりの理想の人間像を描いている。まず、感覚のすぐれた者、発見する力、判断する力が要求される。
 次に、秘密を守ることのできる人間、そして、適当に家族や近所の人に分け、ともに喜びあえる人間、最後に、山を大切に育て守ろうとする人間。

 マッタケの土くさい香ばしいにおいが、家に充満し、酒がほどよくまわって、おかよばあさんもマッタケ相続の件で考え疲れた。ころあいを計って、長男の嫁の滝子が、おばあさんのマクラと毛布を持ってきてそっと置いた。

 いつものことであるが、おかよばあさんはコップ一杯の酒をのみ電気コタツに足を突っ込んで、三十分ほどのうたた寝を楽しむ。

 毛布を引き寄せながら、「おお」と、おかよばあさんは目を見開いて、満足気に笑った。決して、目立つ嫁ではないが、嫁との長い生活の間にいさかいも起こさず今日まできたことは、これは大変なことであり、嫁の人間性というものを改めて、考え直さずにはいられなかった。

 文句をつけることも、とりたててほめることもない。毎日の生活を的確に運営していく能力、心の配り方、判断のよさ、忍耐強さ、寛容さ、これこそおかよばあさんの理想像ではないか。

 翌朝早く、おかよばあさんは、嫁の滝子にかごを持たせると裏山へと連れだって姿を消した。山の紅葉が朝日にまぶしかった。


    自選一句

     山茶花の散りのこしてや紅に雪   掌



2017年10月31日火曜日

  続  望 遠 鏡

 佐野啓一、四十歳。東京のN大学教育学部心理学科を卒業して、現在は地方大学の講師。連続する雨の休日にいささかうんざりし、望遠鏡のレンズを磨きながら、フラストレーションの蓄積にイライラしていた。

 ゆうべの天気予報では、きょうは午後から曇り、ところによっては晴れ間が出るとか。啓一はそれに期待をかけて、望遠鏡を磨いていた。

 週三回の講義と、本を読むか、ものを書いているかの生活が十二、三年も続くと、生活の知恵として、自分に最も適した遊びというものを創造する。
 望遠鏡を磨くという極めて単純な作業が精神的な疲労を緩和し、生活の調子を整える安全弁となる。

 近ごろの天気予報は実によく当たる。きょうも見事に的中し、正午を過ぎるのを待つかのように、雲に切れ目ができ、その部分だけがひときわ明るく街並みの景色を映し始めた。

 佐野啓一は、さっそく望遠鏡を肩に、屋上のベランダにでた。まだ、つゆの雨雲におおわれて、望遠するのにはあまりよい条件ではなかった。画面は全体が暗く、小さな物体はぼやけて詳細には観察できない。それでも、雲の切れ問にさす明るい場所だけは、周囲が暗いせいかよけいにきわだって見えた。

 サーチライトのように、点々と散在する明るい部分を追って、望遠鏡の焦点を移動させた。梅雨のじめじめした空気の中には人影は数えるほどしか発見できなかった。建物が死人館のように黒いバックの中に沈んで、これまでに望遠鏡で眺めたことのない憂うつな風景が啓一の望遠鏡に投影された。

 しかし、一方、明るい部分では、松の刈り込みが引き締まり、モミジ、サルスベリ、キョウチクトウなどの木々の緑が雨にぬれ、玄関わきには純白のアジサイが清楚に咲き乱れている。アパート住まいの啓一には、目のくらむような住まいが目に入った。

 同じように、庭園の広い緑におおわれた一軒立ちの住宅が雲の切れ間の太陽に水滴をきらきらと輝かせて、死人の館とは対照的に明暗をはっきりさせていた。

 望遠鏡が二度目に純白のアジサイをとらえた時に、啓一はおやと思って、ピントを合わせ直した。
 白地に黒と茶の子ネコが、親を捜しているのか、四つの足で不安定に立ち、頭だけをゆったりと左右に動かしながら、一定のリズムで目を大きくあけてないていた。一歩も動かず前からの姿勢で、今にも倒れそうな姿態が自活能力のないことを物語っていた。

 親ネコが子ネコの泣き叫ぶ声を聞きつければ、とんで来て保護をするのであるが、かなり遠方から捨てに来たのであろう。五分十分となき続けていた。
 と、アジサイの向う側の表戸があいて、一人の老紳士が着物姿で現われた。髪は白髪であったが背筋がピントはって、見るからに立派なこの家の主人である。きょろきょろと何やら捜し物をしているようすから捨てネコの声を聞きつけて表へ出て来たようである。

 純白のアジサイのかげに、捨てネコを発見してその方に近づいた。その時の顔の表情は残念ながら啓一には観察できなかった。うつむきかげんであったのと、太陽の光が一瞬暗くなったので。
 白髪の紳士は、捨てネコの首ったまをぎゅっとつかむと門から道路に出た。そして、右手の、啓一からは向かって左手になる隣家の鉄さくの門の中に子ネコを投げ込んだ。子ネコはギャッとないて、あごから地面に墜落し、頭から二、三回転して止まった。

 それでも、またもとの姿勢に不安定に立つと、親を求めてなきはじめた。望遠鏡の中にゆっくりと左右に動かす頭と顔いっぱいに広げる口の動きだけが生きていた。

 やがて、鉄さくの向う側の玄関が開いて買い物かごを提げた主婦が姿を見せた。慣れた手つきで、ネコの首ったまをひょいとつまむと、門を出て純白のアジサイの根っこに子ネコを置いた。このあたりでは、捨てネコや捨て犬が多く、住人たちはその処置に慣れているのであろうか。彼らの行動にはなんらちゅうちょするところなく捨てネコに対処していた。

 しかし、だれの行為も、問題の解決にはほど遠い。捨てネコはやっかいな重荷を背負って、門口から門口へと投げ渡されていく。

 望遠鏡をのぞいていた啓一は自問した。この捨てネコ問題の具体的な解決とはいったい何か。自分の目の届かない、鳴き声の聞こえない場所にネコを移動させることであるのか。ネコの好きなようにさせて平和共存路線でいくのか。それともむだな生き物として抹殺してしまうことなのか。

 ネコがはじめて、一歩動いたので、啓一の考えは中断した。ネコはアジサイの根っこを離れ、門から道路へと歩を進めた。

 男の子が一人駆け寄って、ネコを抱きあげた。
 しかし、男の子は急に今来た方向を振り向いた。男の子の後方に母親が神経質な目をつり上げて、ヒステリックに叫んでいる声がレンズを通して聞こえた。
 男の子は抱いていた子ネコを放り出して、駆け出して行った。瞬間、啓一はネコを見失った。道路から門、アジサイの根っこ、鉄さくの中、しかし、子ネコの姿はどこにも発見することができなかった。

 ただ、門前を流れる泥水の中で、何かが動いたようであった。                                                          

        自選一句

         木枯らしや娘(こ)が母となる午前二時   掌